好みと差別のちがい

 

好みと差別の境界線ってめっちゃ難しくないですか

 

以前知り合いとアリアナグランデの話してたんですよ、笑

 

 

そしたらその子はアリアナはあんま好きじゃないって言っていて、理由をきくと、「なんか黒人っぽいやん、あんまタイプじゃない」って。

 

なんか、お、おうってなって

 

普通に差別的な発言だなーって感じつつ、でもそれも彼女の好みの問題であって私がどうこう言う問題でもないなって。

 

でもなんか引っかかって、笑

 

この時、差別と好みの差ってどこにあるんだろうって感じたんです

 

だって身長が高いのが好き、とか、髪の毛はショートが好き、みたいな感じで、肌の色は白い方が好き、って。

 

あくまでそれも個人の好みだからいいのじゃないかと思う反面、うーんと感じる気持ちも。

 

 

この例だと、黒人の文化的、歴史的背景も連想させるから差別的と感じるのかなとも思ったんですが、これが逆の白人でも「白人っぽいからタイプじゃない」だと差別的には聞こえるなーと。

 

 

それか、これは、”嫌い”と言っているから極端に差別的と感じるのか、、?

 

とも思ったんですけど、

 

逆もあって、

 

”好き”でも差別的な発言になることがあります。

 

少し論点がずれてしまうのですが、以前、こんな記事を読んだんです。

 

「日本に行けば誰とでもヤレる」迷信を信じる外国人の“差別的なフェチ”に激怒し、声を上げた一人の女性

 

”イエローフィーバー”というものについての内容で、これは、”とても限定的にアジア人を好きなこと”を指すそうです。

”特定の人種に共通する身体的特徴がタイプなのは普通だと思う。でもその特定の人種に勝手な幻想を抱いて、それを理由にその人種にだけ恋愛面でアプローチするのは違う。”

 

一つの人種をステレオタイプでまとめて考え、それを”好き”とするのは差別、ということです。

 

例えば、アジア人だと”エキゾチック”で”シャイ”で”従順”っていうイメージが海外の人からするとあるかと思うのですが、そういったイメージをアジア人全員に押し付けてきて、”好き”になることが問題だと。

 

同じ人種でも一人一人必ず違いますもんね。

 

たしかに、誰かにアプローチされたとして、その人の過去の恋人がみんな自分と同じアジア人だったりしたらなんか不快に感じません?笑

 

なんかただアジア人が好きなだけって感じちゃいますよね。

 

なんか薄っぺらく感じちゃう。

 

この例の場合だと、見た目から、その人の性格だったり文化など、その人の全てを規定しようとしているから問題ということはわかるんです。

 

でも、話を戻して、単にアリアナの見た目だけの話をしていたとして、

 

”黒人っぽいからタイプじゃない” は

 

純粋に見た目のことだけを話していたと思うんです

 

あくまで個人のタイプと言えど、

 

固有のなにかにカテゴライズして言ってしまっていることが、何らかの属性を否定することになるから、差別的にきこえるのかな。

 

あとは、

 

好きや嫌いがあることは当たり前のことなんです

 

ただ、その気持ちが何らかのアクションに出てしまった時点で差別だと思うんです。

一方だけを極端にひいきするとか、嫌いだから嫌がらせや暴力をふるう等は、もう完全にアウトですよね。

 

でも、言葉だけでも人を傷つけてしまうことってあって。

 

言い方(もしくは言うか言わないかの選択)が大きな鍵になるのかと。

 

ノーベル賞経済学者のミルトン フリードマンの言葉でおもしろいものをみつけました。

“差別とは、所詮は受け入れ難い他人の「好み」にほかならない。ある家の主人は醜い召使いより美しい召使いを好み、別の家の主人は黒人の召使いより白人の召使いを好むとしよう。しかし両者の違いはといえば、前者は容認できる好みだが後者は容認できない好みだということだけである。”

 

この意見だと、結局、差別って好みの延長線にある訳で、

ものを言う時は言い方に気をつけろということですね。

 

もちろん、ただ単に自分のタイプの話をしているだけなので、そこまでセンシティブにならなくてもいいですが、自分の発言が誰かを傷つけるかもしれないという意識を持っていることはとても大事ですね。

 

 

画像

Digital Spy

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